川越の歴史と十ヶ町のこと。


みなさんこんにちは♫
歴史ある街、川越において、十ヶ町というものをご存知でしょうか?

上五ヶ町と下五ヶ町、2つを合わせて十ヶ町と呼ぶのですが、そもそも今の川越の町並みは出来た当時からほぼ変わらずに残されてきたものが多いです。

過去の戦火や関東大震災にも耐え、今の形を残している川越。どうして古い町並みが現在に至るまで残ってきたのでしょうか?
その理由を解明し、十ヶ町の歴史をご紹介していこうと思います!


明治26年に「川越大火」と呼ばれる大きな火災が発生した際に、17の町が焼けてしまったのですが、その中で焼失を免れたのは全て耐火建築の蔵造りでした。

当時、地理的・経済的な面で江戸からも重要視され密接な関係にあった川越では、江戸を倣って耐火建築の蔵造りを採用し、盛んに建てられていました。焼失を免れた有名な大沢家住宅(小松屋・店舗建築)などが耐火建築の蔵造りです。

その後、コスト的には高く付くものの、資産・財産を守るという観点から耐火建築の蔵造りに目を付けた商人たちによって普及。東京から職人を招いて、わずか2~3年のうちに200棟を超える蔵造りが建設され、川越は再建されました。

この時に建てられたたくさんの蔵造りが、後の災害や戦争などにも耐えきって現在に至るというわけですね。


さて、十ヶ町とは1624~1644年頃に、当時の藩主・松平信綱によって制定されたと言われています。ちなみに川越大火は1893年に起きていますので、大火事をしのぎきった建物は200年以上も前に建てられたものなのですね。

今や歴史的建造物となり「蔵の街」や「小江戸」として親しまれていて、多くの観光客で賑わっていますo(^-^)o 海外からわざわざ川越の街を見にくる人が多いというのも、日本人として誇らしいです。

川越十ヶ街は町名を変えながら今に至る歴史がありますが、その中には当時から名前を変えずに現存してるものもあります。
※左側が旧町名

上五ヶ町
本町(→元町)
高沢町(→元町)
江戸町(→大手町)
南町(→幸町)
北町(→喜多町として現存)
下五ヶ町
鍛冶町(→幸町)
多賀町(→幸町)
志義町(→仲町)
志多町(現存)
上・下松江町(→松江町として現存)


そんな町並みを使って、川越氷川祭、通称「川越祭り」が毎年開催されています。川越祭りは、関東三大祭りの1つでもあり、360年以上も前から続いています。
この町並みがなかったら川越祭りも無かったのかと思うと、ホッとします。笑

毎年10月に行われるので、是非足を運んで欲しいです(^-^)/
その際には川越の情緒を作り出している町並みにも注目して楽しんでくださいね♫

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